LOGINエマは右手で胸元を押さえ、頬を赤く染めて、涙を浮かべていた。
初心な反応に、高揚感を覚える。 ルシアンは薄く唇を開き、舌でぺろりと甲を撫でた。 「ひぁぁんっ」 ビクンッとエマの体が震え、慌てて口を覆い隠す。 エマの甘い声に、笑みが浮かぶ。 ルシアンはさらに、手の甲から指先へと、舌でペロッと軽く舐めていく。 「ひゃんッ! ぁ……だ、ダメですっ」 「エマ。どうか、ルシアンと」 「んぁぁっ……ァッ、る、ルシアン、さまぁ……ぁぁっ」 甘い刺激に耐えきれなかったのか、エマはとうとう降参した。 名を呼ばれたことに満足して、ルシアンはようやくエマの左手を離した。 「ん、っ……ルシアン、様」 「エマ。怯えないで下さい」 ぽろ、と涙をこぼすエマに、優しく微笑んだ。 ハンカチを取り出すと、エマの左手を丁寧に拭う。 「る、ルシアン様っ」「すごいですっ! おめでとうございます!」 エマは喜びに目を見開く。 公爵家の後継者になるということは、ルシアンの実力や功績が認められたということだ。 (さすがルシアン様っ! すごい!) エマは思わず抱きついて、ルシアンを祝福する。 「本当にすごいです、ルシアン様っ!」 「貴方のおかげです」 ルシアンも、エマをぎゅっと抱きしめてくれた。 愛しさのにじむ声で、エマに囁く。 「この指輪は、大公家の証です。貴方を守ってくれますから、決して外してはいけませんよ」 「っ、はい、ルシアン様っ」 エマはしっかりと頷いた。 これ以上はない、強力なお守りだ。 ルシアンの想いが嬉しくて、胸がいっぱいになった。 「ありがとうございますっ! 僕、頑張りますね!」 ルシアンは、エマのために決意してくれた。 だからエマも、妻としての役目を果たすつもりだ。 (社交界なんて、初めてだけど) 聖樹だった王妃や王太子妃も、いまや立派な王族として務めを果たしている。 エマにだって、できるはずだ。 「その気持ちは嬉しいですが。まずは、デイモンド領での暮らしに慣れることから始めましょう」 「はい。ルシアン様のご実家ですから、楽しみです」 エマが答えると、ルシアンがちゅっとキスをしてくれた。+ + + 十日間の馬車旅は、長いようで短かった。 ランダリエの国境を越えるまでは、馬車の進む先々で、たくさんの祝いの言葉をもらった。 街では王宮の馬車に乗るエマを、平民たちが取り囲むようにして、祝いの言葉をかけてくれる。 「聖樹様っ、おめでとうございます!」 「聖樹様、バンザイ!」 護衛をする騎士たちは大変そうだったが、宿泊先の貴族の館でも歓待を受け、誰もがエマの結婚を喜んでくれた。 帝国に入ってからは、ルシア
「レヴィネージュ伯爵家には、よくオメガが生まれるそうです。そのため、昔から薬草学に力を入れていて、オメガにも理解があります。母はデイモンド領で平民のオメガを保護して、仕事を与える事業も行っているので、領地自体が、オメガに対する偏見が少ないのですよ」 「そうなのですね。僕も受け入れてもらえそうで、安心しました」 オメガに優しい場所というのは、誇張でなく、本当のことなのだ。 「母も領民も、エマを歓迎しますよ。貴方はランダリエの聖樹ですから」 「聖樹と言っても、神殿で育っただけのオメガですよ?」 「貴方は、女神の愛し子でしょう?」 ルシアンが楽しげに笑みを浮かべる。 エマが唇を尖らせると、諭すように優しく言った。 「貴方は特別な存在です。そのように振る舞うべきですよ。それが、貴方の身を守ることにもなります」 ルシアンの声には、重みがあった。 デイモンド領ではオメガへの偏見がないにしても、帝国全体で見れば、やはり蔑視対象である。 (ルシアン様のお母様が、大公様との結婚を認められなかったのも……きっと、オメガだったからだよね) エマがルシアンと結婚できたのは、エマがランダリエの聖樹だから。 帝国のオメガだったら、きっと正妻にはなれなかった。 (僕、すごく恵まれてるんだ) エマは唇を引き結び、コクンと頷いた。 「分かりました。僕、ルシアン様が恥ずかしくないように振る舞いますね」 「あまり気負うことはないですよ。デイモンド領では、自由に過ごして構いません。社交界に出る必要もありませんが、もし行ってみたいと思うなら、万全の体制でエスコートします」 「社交界ですか?」 「貴族が集まって、社交を行う場です。皇族主催のものから、高位貴族の夫人が主催するものなど、様々です」 「あ、お茶会のようなものでしょうか?」 前に庭園でルシアンとお茶を楽しんだことを思い出す。 ルシアンは優しく微笑んだ。 「そうですね。貴婦人や令嬢たちは、そ
「奥方様が、このように美しい方だったとは!」 「閣下に釣り合う女性などいないと思ってましたが、さすが聖樹様ですっ!」 「おい、ジュリアン。お前、なんでもっと早く教えてくれなかったんだ!」 「俺は話したぞ!? 天使のような御方だって!」 「こら、お前達! 静かにしないか! 奥方様の耳に入ったらどうする!」 隊長格の騎士が諫めるが、興奮はおさまらないようだ。 馬車の中にいても、騒ぐ様子が聞こえてきて、エマはちょっと恥ずかしかった。 「ルシアン様。皆さん、僕のことを美化しすぎではないでしょうか?」 「そんなことはありませんよ。貴方が美しいのは本当のことです」 「でも、ルシアン様の方が美しいですっ」 エマはルシアンを見上げて、真面目に返した。 「ルシアン様の銀色の髪も、宝石みたいな瞳も、見惚れてしまいます」 「エマは本当に、可愛いことばかり言うのですね」 ルシアンは目を細めて、エマの唇にキスを落とす。 「んっ、ルシアン様」 「早く、屋敷について欲しいです。貴方が欲しくてたまらない」 「もうっ……デイモンド領までは、馬車で十日は掛かるのでしょう?」 「ええ。長旅になりますが、皇都よりはずっと近いので、辛抱していただけると助かります」 「もちろんです。ルシアン様と一緒の馬車旅は、初めてですね!」 エマはワクワクしながら、ルシアンを見上げる。 前は、エマの体調が悪く、馬車の中ではずっと寝ていた。そのため、今回はルシアンと初めての旅行気分なのだ。 「僕、外国に行くのは初めてなんです。ランダリエでも、アレシオン伯爵領やアズレーヌの街くらいしか行ったことがなくて。外の景色が新鮮で、楽しいですっ」 「気になるところがあれば、立ち寄ることもできますから。遠慮なく仰ってください」 「はいっ」 エマは頷いて、ルシアンに寄りかかる。 馬車の中は、二人きりだ。 ルシアンがエマの腰を抱き、優しい眼差しを向けてく
エマの返事を受け、王太子はルシアンに問いかける。 「デイモンド伯。これよりそなたは、エマヌエーレを唯一のオメガとして番を結ぶ。この先、オメガを含む他の女性にも、反応することはなくなるだろう。構わぬか?」 「女性にも、反応を示さなくなるのですか?」 ルシアンは驚いたように目を見張る。 一般的に、アルファはいくらでも番を持てるし、アルファやベータの女性とも子を設けることができる。 王太子は神妙な顔で頷き、ルシアンに説明した。 「この番の儀式は、お互いを唯一とするものだ。帝国民であっても、効果は変わらぬだろう」 「……王太子殿下は、そうなのですか?」 「うむ。私はアウレア以外の者には、関心がなくなった。欲しいと望むのは、己の番だけだ」 きっぱりと答える王太子に、ルシアンが頷く。 その表情は、晴れやかだった。 「ならば、問題ありません。私が欲しいのは、エマだけですから」 ルシアンの甘い眼差しが、エマに注がれる。 (ルシアン様っ! 本当に、僕だけを望んでくださるんだ) 嬉しくて、またうるうるしてしまう。 王太子は穏やかな顔で、小箱の蓋を開けた。中身が見えるように、エマたちの前に差し出す。 柔らかな絹のうえに、小さな丸い珠が一つ入っていた。 乳白色だが、パールのような光沢があり、うっすらと金に染まっている。 「っ……これは」 ルシアンが驚いた顔で、珠を見つめた。 そして、エマを振り向く。 「この珠は、貴方のものですね?」 「はい……私の、聖樹の実です」 エマは頬を染めて頷いた。 聖樹の実……それは、聖樹と番になる者しか知ることのできない、特別な実だった。 厳重に管理され、番の儀式のときに、アルファへ差し出される。 二センチほどの大きさの実は、一見すると固そうにみえるが、口に含めば柔らかく溶ける。 「デイモンド伯。聖樹の実を食すことで、そなたはエマヌエーレの番となる
ルシアンに寄り添うと、大好きな声がエマを呼んだ。 「エマ。貴方の伴侶になれたことは、私の人生で一番の幸福です」 「ルシアン様っ」 思わずルシアンを見上げ、エマは瞳を潤ませる。 甘い眼差しに胸をときめかせていると、セレナ嬢がにっこり笑った。 「私達の杞憂でしたね。エマヌエーレ様、デイモンド伯。いつまでも仲睦まじくお過ごしください」 「ありがとうございます。セレナ嬢」 エマも笑顔で礼を述べた。 続いて、後ろの長椅子に移動すると、ルシアンの従者ノエルが待っていた。 ノエルは笑顔を浮かべて、エマとルシアンに頭を下げる。 「ルシアン様、エマヌエーレ様。このたびは、ご結婚まことにおめでとうございます」 「ありがとう、ノエル」 「エマヌエーレ様を、ルシアン様の奥方様としてお迎えできること、仕える者として、これ以上の喜びはございません」 熱のこもった言葉は、お世辞でもなさそうだ。 ノエルはニッコリと笑ってエマを見る。 「ルシアン様がご結婚を決意なさるとは、誰も思っていませんでした。エマヌエーレ様にはお礼申し上げます」 「ノエル。余計なことを言うな」 「お屋敷に戻られれば、すぐに分かることですから」 ノエルの返事に、ルシアンが眉をしかめる。 はっきり聞いたわけではないが、どうやらルシアンは独身を貫くつもりだったようだ。 (でも、ルシアン様は僕を選んでくださったんだ) そう思うと、嬉しくなった。 ノエルに礼を言って、最後にエマの側仕えが待つ長椅子へ移動した。 「エマ様~、とても素晴らしかったです~!」 「女神の祝福を頂くとはっ! さすがエマ様ですわ~!」 はしゃぎ声をあげるシーシとスースの隣で、ナタリナが涙を浮かべている。 歯を食いしばっているようだが、エマを見つめる瞳は濡れていた。 「ナタリナ?」 「ッ……あの、小さかった、エマ様がっ! こうして望まれた方の元へ嫁が
エマが微笑むと、ティエリーとオデットが短い言葉で別れを告げた。 「またお会いしましょう、エマヌエーレ」 「いつでも皇宮へ遊びに来い」 「はい。ありがとうございます」 「ティエリー様。休暇を終えたら、皇都へ伺います」 エマとルシアンは、神殿の間から退室する三人を見送った。 皇太子夫妻の姿が見えなくなると、ふっと空気が緩む。 (やっぱり、みんな緊張してたみたいだね) 次に挨拶に向かったのは、文官のユリックと、セレナ嬢だ。 皇族が退室したおかげで、かなり砕けた様子だった。 「エマヌエーレ殿。ご結婚おめでとうございます。実に素晴らしい式でした」 「ありがとうございます、ユリック殿」 「聖樹の奇跡を、この目で見られるとは思ってもみませんでした」 「奇跡……?」 さっきも騒いでいたが、何かあったのだろうか。 エマが首をかしげると、セレナ嬢が興奮した様子で語った。 「エマヌエーレ様の花冠が、ゆっくりと深紅に染まっていったのです! あれが女神様の祝福なのですね!」 「え?」 エマはパッとルシアンを見上げる。 (ミナの作ってくれた花冠が、深紅色に変わった?) 今すぐこの目で確かめたいけど、挨拶の途中で冠を取るわけにはいかない。 エマは曖昧に頷き、笑みを浮かべて誤魔化す。 「エマヌエーレ様! 本日は、ご結婚おめでとうございます!」 「ありがとうございます。セレナ嬢」 セレナ嬢は興奮した顔のまま、エマにお祝いの言葉をかける。 そして、エマの隣に立つルシアンをジッと見た。 「セレナ、失礼だよ」 セレナ嬢の後ろで、控えめな声が聞こえる。 よく見ると、ユリックとセレナ嬢の影に隠れて、フィリップが立っていた。 「あ、フィリップも来て下さったのですね」 「はい。団長から、夫婦で参列するようにと言われまして」 フィリップは騎士の礼装で、穏やかな笑みを
「素直なところは、平民らしいな」 「元々の性格でしょう」 「だったら、なおさら良い。ランダリエの聖樹には、興味があったからな」 ティエリーの台詞に、ダリウは目を見張った。 (まさか……今になって夜伽を命じるつもりか?) ティエリーは今まで、エマヌエーレに興味を示す素振りはなかった。公式の場で挨拶した以外では、顔を合わせたこともないはずだ。 レオナールの公務を代わりに任せたせいで、ティエリーの目に留まってしまったの
ティエリーは悪びれた様子もなく、テーブルを挟んだ向かい側の椅子に腰掛ける。 「報告書を読んでたのか?」 「ああ」 「それにしては、上の空だったようだが?」 ティエリーは笑いながら、ルシアンを見る。 テーブルに用意されていたグラスにワインを注ぎ、勝手に飲み始めた。 「で、その地味な袋は何だ?」 「野暮なことを聞くな」 ルシアンは素っ気なく答え、お守り袋を懐にしまいこむ。 「あの聖樹か
その夜、レオナールがエマのいる離れへ怒鳴り込んできた。 「貴様ッ! 昼間はよくもオレに恥を掻かせてくれたな!」 「殿下ッ……!?」 書き物机に向かっていたエマは、あわてて立ち上がる。 レオナールはズカズカと部屋に入り込むと、エマの腕を乱暴に掴んだ。 「ッ、ぃたッ……ッ」 「レオナール様、跡が残りますので、お気を付け下さい」 「チッ!」 従者が止めると、ようやくエマの腕を離す。
「ルシアン様は、遺跡に興味がおありですか?」 「ええ。アカデミーに在籍していた頃は、遺跡調査に参加したこともあります」 ルシアンの声が弾んでいるように聞こえて、エマは嬉しくなった。 (王都から離れた場所だけど、ルシアン様を案内できたらいいのに) もし、ルシアンと一緒に出かけられたら、どんなに楽しいだろう。 「今回の滞在では日程が厳しいですが……遺跡は、ぜひ見てみたいですね」 「はいっ! もし機会があれば、その時はご